化度寺故僧邕禅师舍利塔铭(唐631•欧陽詢)


 
 欧陽詢の楷書の代表的な作品として、「皇甫誕碑(貞観年間)」、「化度寺塔銘(631年)」、「九成宮醴泉銘碑(632年)」、「温彦博碑(637年)」があります。
 欧陽詢(557〜641年)は、南朝の陳時代に湖南省で生まれ。唐の貞観15年に85歳で亡くなりました。隋の煬帝に任え、太常博士になり、唐時代では、高宗皇帝の時に給士中(皇帝の側近)、太宗皇帝の時は弘文館学士(教官)となり、太子率更令(皇太子の守役)、渤海男、光禄太夫として皇帝に任えました。この奉職から年代を探る事ができ、「皇甫誕碑」は建碑の年が不明ですが、末尾に「銀青光禄太夫欧陽詢書」とあり、おそらく貞観年間の初期に書かれたものであるとする説が有力です。
 「九泉宮醴泉銘碑」は、太宗皇帝の墓地昭陵内に陪葬され、建碑は判明しています。「化度寺塔銘」は、初めに「率更令」と書かれており、当時欧陽詢はその職に就いていました。従って、上記の四つの書は、貞観初期627年から貞観11年637年の10年間、欧陽詢の70歳ぐらいから10年間の間に書かれたものです。しっかりと書かれた書風は、私も見習いたいものです。
 四つの署の中から、『守』については文字がなかったので、『太』『深』『明』の3字のみ比較してみました。
 『太』は縦線の高さや左ハライ、『深』はさんずいや最後の左ハライ、『明』は左右の高さや形にそれぞれ共通した特徴がありますね。