屏風土代(平安•延長6年928•小野道風)
真跡が汚れる原因の一つに法帖の制作があります。
法帖のほとんどは中国ですが、本家に倣って日本でも作られました。最も古いのは、江戸初期の
『本朝名公墨宝』(1645)
木版摺名筆模刻集。三冊。巻上に空海、小野道風、藤原佐理、藤原行成、藤原定実、世尊寺行能の6人を収める。
次に
『耳比磨利帖』(1786)
上下二帖。玉田成章編。金石文、古文書の類を多く収録。小野道風は「道澄寺鐘銘」
『世尊寺法書』(1794〜96)
十帖。下野国町田清興編、井上慶寿彫り。巻一に小野道風「常楽里閑居詩」を収録。
『集古浪華帖』(1819)
全五冊。ほぼ原寸大。森川世黄模、版下•谷川清好。篠崎小竹序文、「光定戒牒」「伊都内親王願文」「風信帖」「白氏詩巻」「恩命帖」など精巧な仕上がり。
他に単帖として「秋萩帖」「風信帖」など集帖も多く制作されました。
屏風土代が刻入された法帖に『集古墨帖』があります。墨帖というのは、黒地に文字を白抜きしたという意味で、寛政6年(1794)〜7年(1795)版下は井上慶寿です。屏風土代の他に「風信帖」なども刻中されていますが、模本に模刻を重ねたものもあって、あまり精度は高くないようです。編者は奥州南部藩の儒者の北条世行なので、屏風土代の原本を模刻したとは考え難いですね。現在も残る屏風土代の汚れとは直接の因果関係は無さそうですが、日本でも、三筆、三跡の書跡は法帖が作られ、お手本として流布していたのです。浮世絵の国ですから、彫りの技術は素晴らしいものでした。
本朝名公墨宝
耳比磨利帖
世尊寺法書
集古浪華帖
集古墨帖