化度寺故僧邕禅师舍利塔铭(唐•貞観5年631•欧陽詢)


(衆妙を極めて言を為し)

 化度寺故僧邕禅师舍利塔铭の拓本は、以前お話ししたように20世紀初頭にイギリスの探検家•スタインとフランスの探検家•ペリオの中央アジア探検によって、発見されました。この拓本は厚い台紙の表裏に貼られた剪装本(拓本を切断して、本の大きさに切り貼りしたもの)の様式で発見されました。敦煌発掘ということから、唐代の原石拓本であることを否定できず、欧陽詢の書であると想定しています。
 この拓本は、ペリオ収集の1紙2頁分はパリ国立図書館に、スタイン収集の5紙10頁分は大英博物館•図書館に収蔵されています。一頁の寸法は縦14㎝、横10㎝で、毎頁4行、毎行5字、全236字が残っています。これは、碑首から8行半に相当し、後部は欠いています。しかもとびとびに35字を欠失しており、唐代に原石が断裂していたことを物語っています。
 化度寺故僧邕禅师舍利塔铭は、宋代以降、拓本のみが伝えられ、翻刻本(模写したものをまた模写した拓本。模写の模写で原本と似ても似つかないものもある。)の優越については多くの議論を呼んできました。著名な拓本としては、
(1)大興翁氏蘇斎本
(2)南海呉氏本
(3)臨川李氏本
(4)松下清斎本
(5)呉県呉氏四歐堂 
が世に知られています。敦煌で拓本が発見されてからは、これら伝世の拓本に対する評価も定着しつつあります。現在、上海博物館に保管されている拓本は、(5)に相当する拓本で、翁方鋼、成親王らの跋文があります。欠字の箇所や文字の細部が敦煌本と一致しており、敦煌本の8行半に対し、この拓本は全体に渉って文字が残っているので、史料性が高いと言われています。清の金石学者•翁方鋼は、化度寺故僧邕禅师舍利塔铭の復元作業を試みています。銘文は34行、毎行33字、全1089文字からなり、文字面だけの寸法は高さ75㎝、幅80余㎝で、ほぼ正方形の墓誌に近い形であることがわかりました。
 墓誌は、大体正方形かやや縦長な形で、大きさは50㎝〜60㎝角から70〜80㎝角の板状の石です。この形式は北魏時代から隋、唐、宋時代ごろまで続いていました。墓誌に書かれた銘文を墓誌
銘と言っています。この翁方鋼の復元作業により、石碑というより、当時の墓誌の形であった事が伺えます。化度寺碑ではなく、やはり化度寺故僧邕禅师舍利塔铭で呼んだ方がいいという事ですね。